あああ読書記録

読書、映画鑑賞のログ。個人的な感想を書いてます。

『日本でいちばん大切にしたい会社』を読んで

日本でいちばん大切にしたい会社

坂本 光司 あさ出版 2008-03-21
売り上げランキング : 2538
by ヨメレバ

 

こちらの本は,労働者を雇用する側,経営者にスポットを当てた内容になっている。その中でも大企業ではなく,中小企業の経営者で「会社とは何か」ということに真摯に向き合い,経営してきた事例を著者が選りすぐり紹介している。

会社が目指すことは,利益をあげることである,儲かることである,株主に還元することである。という世間であたりまえのような認識から脱却し,大雑把にいえば「人のため」ということを意識している経営者たちが紹介されている。「人」とは誰のことなのか。著者は「五人に対する使命と責任」を挙げている。この五人の順番が大切であり,これを間違えてはいけない。この方針を実践している会社を著者は「いちばん大切にしたい会社」としている。

私は紹介されている会社に「五人に対する使命と責任」からもたらされる共通したキーワードを感じた。それは「サスティナブル」ということである。一時的な利益などに流されず,労働者が安定して働けるよう環境面,金銭面から支える制度を維持する,先を見据えた研究開発に投資を惜しまない,地域への還元を意識するなど一見コストがかかり,利益を生みだすことが難しそうな条件を揃えている。しかし,この本で紹介されている会社は、この方針を守ることで、継続的な雇用を維持し,そこから顧客の満足につながり,さらに地域も活性化している。結果として,会社の継続的な成長,経営をしていくための地盤がしっかりと形成されているようである。

この「地盤」こそ会社の大きな,重要な数字に見えない資産となり,持続可能な経営の源泉となっているのではないかと思う。お金であったり物である資産はなにかしらあれば一瞬で無くなってしまう可能性がある。しかし,「地盤」という財産はちょっとやそっとでは無くならず,会社が危機的状況に陥った際にも大きな助けになるのではないか。

 

このような経営をしている会社はレアケースであって,全ての会社に当てはめて考えることはできない。とも考えられる。しかし,この事例は空想ではない。実際に存在する会社である。「そんなキレイ事で会社が成り立つわけがない」と否定するのではなく,参考にする価値は大いにあると思う。

私は,このような会社で働きたいし,このような会社の商品・サービスを利用したい。

 

日本でいちばん大切にしたい会社2

坂本 光司 あさ出版 2010-01-21
売り上げランキング : 12670
by ヨメレバ
日本でいちばん大切にしたい会社4

坂本 光司 あさ出版 2013-11-18
売り上げランキング : 23222
by ヨメレバ

『若者と貧困 いま、ここからの希望』を読んで

若者と貧困(若者の希望と社会3)

湯浅 誠,冨樫 匡孝,上間 陽子,仁平 典宏 明石書店 2009-07-28
売り上げランキング : 290834
by ヨメレバ

 

この本では、まずミクロの視点、貧困の当事者の若者の事例を紹介している。子供時代から現在までの事例を追っていくことで、貧困に陥る背景、要因は人生の様々なステージに存在し、様々な要素が絡み合い、負のスパイラルを形成し、貧困に陥る様子が報告されている。

貧困に陥る要因はとても身近で、自分にも当てはまっていたケースが多く存在していたことに気付かされる。なんとか不自由なく生活できていることは細かな”幸運”が重なっているからにすぎない。残念ながら貧困とは隣り合わせの社会で自分は生きている現実を思い知らされる。

細かな”幸運”とは、様々な資産(主に家族がもたらしてくれる生活する力)を身に付ける環境があり、救ってくれたセーフティーネットにたどり着くことができることだ。

 

次にマクロの視点。「世代間の対立」をそれぞれの立場から検討することで、見えてくる問題点と、対立していることによって生じてくる問題点を浮き上がらせている。

グループ(本書では世代)で分かれると、それぞれの立場のからお互いの問題点を指摘する行動が目立ってしまい、現在進行形の問題の解決に向けての議論が進まない。また、他者に責任を取らせようとし、自らは問題から逃れようとしてしまうという大きなデメリットが生じる。

このデメリットを克服して、問題解決に向かうには、断裂しているグループの枠組みを越えて人々が繋がり、問題を共有し、解決に向けて建設的な議論をし、協同して動くことが求められる。

 

この本を読んで私がキーワードと感じたのは「情報」だ。

ミクロの情報。それは、極端な事例だとしても同じ社会の中で起こっていることが自分達に関係ないということはない。問題提起として共有されなければならないと思う。

マクロの情報。これは長い歴史の流れ、大きな単位の統計などマクロ的に分析しなければ、問題の本質を見抜き、解決・改善へと効果的な策をとることはできないだろうと感じる。

両方向からの情報をなるべく多くの人で共有していかなければ問題に気付き、解決には向かえないのだろうと思う。

  

若者と貧困(若者の希望と社会3)

 

『いちえふー福島第一原子力発電所労働記ー』を読んで

いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1) (モーニングKC)

竜田 一人 講談社 2014-04-23
売り上げランキング :
by ヨメレバ

『いちえふー福島第一原子力発電所労働記ー』竜田 一人 講談社

「いちえふ」とは福島第一原子力発電所のこと。漫画の作者が実際に原発の現場で働いてきた様子を淡々と描いている。一次情報から制作されたルポである。
作者が現場からのミクロの視点で感じた、労働環境、賃金、作業の進捗など様々なメディアで報道されていることとのギャップ。何よりも、現場で働く人同士(多くは被災者の地元住民の方)のやり取りは、外部からの取材では明らかにすることは難しい貴重な情報。様々な得体のしれない恐怖から発生する憶測、煽りなどをに対して現場で原発と日々向き合う人々はどう感じているのか。

震災から時間が経ち、いつの間にか過去の問題として頭の片隅に追いやりがちな「厄介な」問題、原発東電の経営陣、裁判、政治などの動きをメディアから発信されている情報も聞き流してしまっていないだろうか。自分は原発問題の解決に向けて何一つ動くことはできていないのではないか。少しずつ値上がりをする電気料金に不満さえ抱いているような有り様だ。作者をはじめ、現場で働く人は少しずつであろうと事態を打開するために働いていることは間違いない。

正直、自分は同じことはできない。しかし、何かすることはあるのではないか。少なくても、外野からあれこれと無責任な言葉を垂れ流さないこと。原発問題を過去のものとして忘れようとするのではなく、考え続けよう。

f:id:forestperson:20140102114243j:plain

 ※2014年1月 南相馬にて

 

原発推進派、脱原発派など関係無く、現状を把握するために有益な情報のひとつだと。

いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1) (モーニングKC)

『生活保障の戦略―教育・雇用・社会保障をつなぐ』を読んで

  ここでは生活保障とは雇用と社会保障、そして教育の3つのサブシステムの連携によって構成されていると考えている。今日、若者を中心に、親の世代が歩んできたライフサイクルに倣おうとしても様々な壁につきあたり、根本的なところで成り立たなくなっている。教育、雇用、社会保障の連携としての生活保障について、その従来のかたちが機能不全に陥っている経緯を辿り、その新しいあり方を7人がそれぞれの視点から展望している。

現在、グローバル市場の下で競争力を付けるために、より自由化へと変化してきた日本社会において、従来の雇用を中核とした生活保障のかたちでは対応できない状況に陥っていとし、現状をふまえ、教育と社会保障の相互乗り入れを図りながら、そのユニットで社会参加と雇用を支え、雇用と人々の生活の安定を両立させ、併せて性や年齢でライフサイクルが拘束されない社会をつくりだすことのできる生活保障の戦略を提起している。

 

第1章 教育と仕事の関係の再編成に向けて―現状の課題・変革の進展・残された課題―

本田 由紀

 

この章では、「日本の教育と仕事の関係の再編成について議論」している。そして、「仕事のあり方」、「教育と仕事の接合のあり方」それから「教育のあり方」から、現状とその問題を提起し、対する政策とその問題点を検討している。

私は、義務教育をから始まる、一般の教育に関しては「教育と仕事の接合」に対して特別な取り組みは必要ではないと考える。現在、多くの一般の大学では学生の就職活動支援に力を入れており、大学のセールスポイントとしても就職率や、就職活動支援体制の充実を挙げている。これは、大学(学校)の目的は何かということから目をそらしてしまっているのではないかと感じる。時代とともに組織の役割は変化もすることもあり、学校もまた変化せざるをえない状況(保護者の意向、少子化に伴い学生が集め難くなっているなど)になっていると考えることもできるが、私はそれは違うのではないかと考える。

社会的自立を促す教育とは、中高生でいえば、社会科(特に労働に関する法律をはじめとした学習)をはじめとした一般的な教科学習を充実させることにより達成できると考える。大学では教養科目がその役割を負っていると考えられる。

一般の教育で「教育と仕事の接合」をせずに、教育から仕事への移行を安定させるのかという問題には、筆者も主張している「『無条件の生の保障』の整備」が必要不可欠となる。新卒一括採用から脱落してしまったらおしまい。ではなく、しっかりと生活することができる保障、保障を受けることでスティグマを受けることのない社会の整備をすること目指したい。

 

さらに、会社内で訓練を受け、定年まで働き続けることができなくなった現代の日本社会では、年齢などに関係なく「仕事に接合する教育」すなわち職業教育を受けることのできる環境を整備することによって、新卒、転職を問わず仕事へ繋がることができるのではないかと考える。その職業教育の結果として雇用する側と求職者とのギャップを埋めることが可能となり、誰でも働くことのできる社会となるのではないかと考える。

 

生活保障の戦略――教育・雇用・社会保障をつなぐ

宮本 太郎 岩波書店 2013-10-31
売り上げランキング : 113088
by ヨメレバ

救いがなくて辛い。――『マイ・プライベート・アイダホ』 原題『My Own Private Idaho』

マイ・プライベート・アイダホ

by カエレバ

 

最後まで救いの見えない作品だった。社会問題を詰め込んだ作品とも言える。

思い出せない(出したくない)過去。パニックからくるナルコレプシー。友情と愛情のすれ違い。越えられない階層。

2人の主人公は、その様々な壁に抗おうと藻掻くが、ことごとく跳ね返されてしまう。そして諦め、それぞれの世界へと戻る。彼らを攻めることはできない。個人で乗り越えるには大きすぎる問題ばかりだ。

1991年から約四半世紀。社会は少しずつ変化している。あらゆる意味で多様性の重要性が議論されているのではないか。例えば、LGBTの運動も進み、作品の舞台となっているアメリカでは法レベルでの議論になっている。様々な病気も認知が進み、治療法も進化しているだろう。

しかし、格差の拡大など社会のすべてが良い方向へ進んでいるとは言えない。

解決の必要な社会問題は存在するということを考えさせてくれる作品だ。

 

ヨレヨレの服を着てボッチ姿がパパラッチされ、人気のキアヌ・リーブスの爽やかな姿を見ることができる作品。リヴァー・フェニックスは暗い影を背負った雰囲気。対称的な2人の魅力を感じた。

 

因みに監督のガス・ヴァン・サントはアカデミー脚本賞を受賞している『グッド・ウィル・ハンティング~旅立ち~』も監督している。

by カエレバ

 

リヴァー・フェニックス出演作品

旅立ちとは過去から自由になることだと思う。――『旅立ちの時』 リヴァー・フェニックス主演 - あああ読書記録

 

 

 

見えない相手って怖い!わからないことは恐怖だと思う。――スティーブン・スピルバーグ監督『激突!』原題『Duel』

by カエレバ

スピルバーグ監督の初期作品。

 

恐怖の原因は「わからない」ということだ。わからないもの、人とは必要に迫られなければ関わろうとしないだろう。しかし、そんな「わからない」相手が突然、自分に対して攻撃的に迫ってきたらどうだろう。恐怖でしかない。そんな恐怖を描いたのが『激突!』だ。

何気なく主人公は、排気ガスをまき散らしながらノロノロと走るオンボロの大型トラックを追い越す。恐怖はその後、延々と続くことになる。トラックは強烈な悪意を持って、主人公の乗用車を攻撃してくる。行く手を阻む、追い立てる、追突する、踏切で走行中の貨物車へと巻き込ませようとする。「追い抜かされたことが癪に障ったのか?」考えるが、その程度でここまでの攻撃をされるものなのか?運転手の顔は見えない、もちろん表情も読めない、声も聞けない。何故ここまで執拗に???主人公は、「わからない」相手にとことん追い詰められていく。

もちろん映像も迫力があって恐ろしい。しかし、それ以上に謎だらけのトラックの狂気に底知れない恐怖を鑑賞後も味わうことになる。

普段の生活でも、似た恐怖に出くわす機会は多い。酔っ払った人、混雑している駅で肩をいからせて歩く人、突然怒鳴りだすクレーマーなど。まだ姿が見えている人物ならばマシだ。

僕にとってもっと恐怖を感じるのは政治だ。何処に目的があって進められているのかわからない政策。どこの誰の意向が働いて、誰に影響するのかどこにもとっかかりのないようなこともよくある。しかし、実は、日本に住む自分は関係する、影響を受けることは少なくないのだ。怖いね。

恐怖を振り払うため、せめて緩和するためには「わからない」ことを「知って」いくしかない。情報を集める、自分で分析してみる、詳しい人に質問をする。学ぶということが自分を恐怖から救うてだてだ。

逆に知ろうとすることを諦めてすべてを受け入れる境地に至っている人は恐怖を感じないのかもしれない。仏教的な悟りというか。

 

知ることできないのならば、もう死に物狂いに逃げるしかない。『激突!』の主人公のように。

 

理由もわからず攻撃される恐怖を描いた映画としては、アルフレッド・ヒッチコック監督の『鳥」原題『The Birds』もオススメ。しばらくカモメが怖くて思えてしょうがなかった。

 

 

by カエレバ

神が宿る芸術は1人では追求できない。――『ゴッホ』 原題『Vincent & Theo』

ゴッホ』 原題『Vincent & Theo』

 

兄、フィンセント・ファン・ゴッホと、弟、テオドルス・ファン・ゴッホ兄弟の半生を描いた映画です。暗い音楽をバックに淡々と人間模様が描写されていき、弟の死で静かに終わります。

画家ゴッホは僕自身も幼児のときに企画展に連れられて行ったことが記憶されているくらい強烈に印象に残る作品を残した人物で、とても影響を受けています。作品だけでなく、この人物の生涯もドラマチックであることも関係しているようです。そんな彼の半生を描いた映画と言うことで観てみました。

彼のエピソードには様々な説があるようで、謎ばかりですが、ひとつの説ということで観てみるのが良いかもしれません。

以下の感想は、あくまでも、この映画『ゴッホ』をもとに感じて書きました。

 

 

「人」という字は人が人を支えている姿を表していると言われるように、人は1人では弱く、大きな力を発揮することは難しい。1+1=が3にも4にもなる。 この考え方には賛成だ。支えあうことによって、物事を成すことが容易になる。 

まさにこの関係を、画家ゴッホと弟の画商テオを題材に映画の中では描かれている。*1ストイックに絵の中へ神を見出そうと、もがき続ける兄と、その兄の才能を信じ続け、金銭面を始めとし、様々な支援を献身的に行った弟が描かれている。 

生存中は画家として評価されず、弟に依存して援助を受けるだけの兄ように見える。しかし、弟は兄を支えることを生きがい、人生の目的としていたようである。支えるという行為は一方通行ではなく、兄は弟を精神的に支えていた。(弟が兄に精神的に依存していた)

兄は、弟に生活面で依存することにより、自らのエネルギーの方向性を絵の制作へと特化させ、過酷な課題を己に課し続けることができた。同時に弟の支援に応えようとしていた。1つの物事を極めるには1人の力では難しい。この兄弟は。支え合って、「画家ゴッホ」を極めたと言えるのではないか。

「依存し合っていた」というとネガティブに聞こえるが、言い換えれば「支え合っていた」と言える。ポジティブな行いだ。

社会では、皆、支え合って生活している。「自分は支えるばかりだ」と感じる人もいるだろうが、乱暴に言ってしまえば、「誰かを支えているんだ」という自負は、「支えられている」人によってもたらされている。自分の存在価値を証明してもらっているのである。ゴッホ兄弟のように、実はWin-Winな関係がそこにはある。

社会の中で、僕たちはあたりまえすぎて気付かないだけで、実は1人では成すことのできない「あたりまえの日常生活」を成し遂げているのかもしれない。自分が誰かに依存、支えられているからこそ「あたりまえの日常生活」を送ることができている。

 

人間の「社会」という仕組みは、成り立っているだけで多くの命を存在せしめている。「社会」にはゴッホの傑作のように神が存在しているのかもしれない。「社会」は、多様な人々が支え合い、それぞれの才能を活かした結果、制作され、維持されている、価値ある作品であると思う。

 

 

 

*1:あくまでも、この作品で描かれている兄弟関係について。