あああ読書記録

読書、映画鑑賞のログ。個人的な感想を書いてます。

神が宿る芸術は1人では追求できない。――『ゴッホ』 原題『Vincent & Theo』

ゴッホ』 原題『Vincent & Theo』

 

兄、フィンセント・ファン・ゴッホと、弟、テオドルス・ファン・ゴッホ兄弟の半生を描いた映画です。暗い音楽をバックに淡々と人間模様が描写されていき、弟の死で静かに終わります。

画家ゴッホは僕自身も幼児のときに企画展に連れられて行ったことが記憶されているくらい強烈に印象に残る作品を残した人物で、とても影響を受けています。作品だけでなく、この人物の生涯もドラマチックであることも関係しているようです。そんな彼の半生を描いた映画と言うことで観てみました。

彼のエピソードには様々な説があるようで、謎ばかりですが、ひとつの説ということで観てみるのが良いかもしれません。

以下の感想は、あくまでも、この映画『ゴッホ』をもとに感じて書きました。

 

 

「人」という字は人が人を支えている姿を表していると言われるように、人は1人では弱く、大きな力を発揮することは難しい。1+1=が3にも4にもなる。 この考え方には賛成だ。支えあうことによって、物事を成すことが容易になる。 

まさにこの関係を、画家ゴッホと弟の画商テオを題材に映画の中では描かれている。*1ストイックに絵の中へ神を見出そうと、もがき続ける兄と、その兄の才能を信じ続け、金銭面を始めとし、様々な支援を献身的に行った弟が描かれている。 

生存中は画家として評価されず、弟に依存して援助を受けるだけの兄ように見える。しかし、弟は兄を支えることを生きがい、人生の目的としていたようである。支えるという行為は一方通行ではなく、兄は弟を精神的に支えていた。(弟が兄に精神的に依存していた)

兄は、弟に生活面で依存することにより、自らのエネルギーの方向性を絵の制作へと特化させ、過酷な課題を己に課し続けることができた。同時に弟の支援に応えようとしていた。1つの物事を極めるには1人の力では難しい。この兄弟は。支え合って、「画家ゴッホ」を極めたと言えるのではないか。

「依存し合っていた」というとネガティブに聞こえるが、言い換えれば「支え合っていた」と言える。ポジティブな行いだ。

社会では、皆、支え合って生活している。「自分は支えるばかりだ」と感じる人もいるだろうが、乱暴に言ってしまえば、「誰かを支えているんだ」という自負は、「支えられている」人によってもたらされている。自分の存在価値を証明してもらっているのである。ゴッホ兄弟のように、実はWin-Winな関係がそこにはある。

社会の中で、僕たちはあたりまえすぎて気付かないだけで、実は1人では成すことのできない「あたりまえの日常生活」を成し遂げているのかもしれない。自分が誰かに依存、支えられているからこそ「あたりまえの日常生活」を送ることができている。

 

人間の「社会」という仕組みは、成り立っているだけで多くの命を存在せしめている。「社会」にはゴッホの傑作のように神が存在しているのかもしれない。「社会」は、多様な人々が支え合い、それぞれの才能を活かした結果、制作され、維持されている、価値ある作品であると思う。

 

 

 

*1:あくまでも、この作品で描かれている兄弟関係について。